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ドーハ日本人学校
  
    カタールの歴史について   
 

カタールの歴史と言っても、カタールという国として独立してから、まだ40年しかたっていません。そのためカタール建国前の歴史ということになります。現在カタールとなっているこの地にはたいへん古くから人が住み、生活していたことが分かっています。


(1)イスラム以前

 英国やフランスなどが行った調査によって、紀元前カタール半島にも人が居住していたことが分かっています。カタールの西海岸にあるウム・アル・マの古墳からは6000年前頃のものと思われる手斧などが発見されています。 今から5000年前には人々は漁をして生活していたといわれ、3000年前ぐらいに作られたお墓からは、東南アジアの影響を受けた陶器が発見されました。


(2)イスラムの到来

 イスラムが生まれた7世紀、カタール半島及びその周辺地域を治めていたムンディール部族の首長アル・ムンディール・イブン・サウィ・アル・タミームは直ちにイスラムを受け入れました。それ以降、この土地に住む人々はイスラム教を信仰しています。

 湾岸諸国が世界で注目されるようになったのは、16世紀の初めポルトガル人がこの地域に進出した後のことです。その後17世紀にオランダ人がこの地域の支配権を強めましたが、まもなくイギリス人がオランダ人を追放してその後約2世紀半にわたって、この地域での力を確かなものにしました。そのため、カタールは欧米諸国の中ではイギリスの影響を強く受けている国だと言えます。そのこともあり、今でもカタールはアラビア語が公用語、続いて英語が第2公用語となっています。


(3)独立までの動き

 現在のカタール人の先祖は、18世紀後半にアラビア半島から移住してきたアラブ人であり、カタールの首長家であるサーニー家もタミーム部族の分家です。いろいろな部族が次々とカタールに進入し漁業、真珠採り、貿易を盛んに行いました。この人達が現在のカタール人の中心になっています。1868年、サーニー家の首長ムハマンドがイギリスとの友好を約束しサーニー家の支配権が確立しました。

 
   
   【アル・ズバラの砦】
 
    【アル・ズバラの砦】(カタール半島北西部 18世紀後半)アル・ズバラは今の首長家であるサーニー家が真珠を求めて住み着いた場所です。サーニー家はここに要塞と大きな町を作りました。  
 
(4)独立後の動き

 独立宣言をしたカタールはクーデターが相次ぎました。アハマド首長を中心に国づくりを始めましたが、首長の行政手腕に対する不信感が王族の間に広まり、1972年2月22日にアハマド首長の従兄弟ハリーファ・ビン・ハマド・アル・サーニー氏が、首長の不在中にサーニー族の支持を取り付け、新しく首長に就任しました(無血クーデター)。その後国の規模に見合った国内重化学工業が一段落したことから、国内経済の多様化(中小企業育成および農業・漁業の発展)や天然ガス開発にも力を入れました。

 1992年以降ハリーファ家の長男であるハマド皇太子(現首長)がハリーファ首長になり代わって政治を取り仕切るようになり、1995年6月、ハリーファ首長の外遊中にハマド皇太子が政権を取り新首長に就任しました(無血クーデター)。ハマド首長は精力的にダイナミックな国造りを開始し、天然ガス開発、行政の合理化・民営化やカタール人雇用政策(カタリゼーション)を推進し、教育やスポーツに力を入れ、保険・医療の充実に努めています。また、青少年教育の充実を図ることがカタールの将来に大切であると考えたハマド首長は、「教育都市」を設立しアメリカの大学や教育機関を積極的に誘致しています。

 上に出てきたカタリゼーションというのが特徴的で、つまりカタール人優遇政策です。どの外国系の企業であってもカタール人のスポンサーが必要だったり、一定数のカタール人を雇わなければならなかったりという内容です。カタール人を雇うには高い給与を払わなければならないし、働きが悪いからといって解雇することができないので、外国の企業からすると少々難しいこともあるそうです。カタール人からすれば、カタールで仕事をさせてあげているのだから当然という感じでしょうか。


(5)最近の出来事

 200612月には第15回アジア競技大会が開催され、競技大会には過去最多の39競技、45カ国と地域から約12,000人の選手が参加しました。200811月には、アティーヤ副首相兼エネルギー・工業相が訪日し、2009年5月には、タミーム・カタール国皇太子が訪日するなど、近年日本・カタールの2国間関係が更に深まっています。
 また、最近のカタールの最も大きな出来事と言えば、2022年のワールドカップの開催地に選ばれたことです。今後も豊富な財政を生かして様々な分野に活動の幅を広げていきそうです。

 
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